アントレメンバで会津IoT会議へ(2)

基調講演より抜粋、

基調講演が興味深かったので抜粋をまとめてみました。

1964年の東京五輪は、第二次大戦終戦から19年後に開催。
たとえるなら100mを5秒で走ったような奇跡の速さ。
すべての条件が足りていなかった。

一例として、冷凍食品は、選手村に
大量の食材とメニューを提供するために
帝国ホテルの料理長自らがニチレイと共同開発
して誕生した。

出口のピクトグラムも1964五輪で登場し世界に広まった。

街をきれいにするために生まれたのがポリエチレン製ゴミ容器。
これを普及して街頭の美化を進めた。

2020年オリパラも同じではないか。
すべてが十分に用意されることはない。
心構えはできているか、
一人一人がセルフレコードを超える。

パラリンピックを見て感じたのは、
まったくルールが違うということ。

パラ・バスケでは一人を3つ車いすで囲ったら勝ちという
ルールになっている(動けなくなるから)。

パラ・ピンポンでは、超緩い球をネットぎりぎりに落として
相手が取れないことでポイントを取っていく。卑怯にも見えるがこれが戦い方。

インドのダージリン地方では、基本が違法建築。
地震がきたらどうなるのか、町が壊滅する。
日本のやり方も世界の1つのあり方に過ぎない。

地域に期待すること。
ちょうどいいコミュニティーのサイズなのではないか。
企業も役所もリスクを避けるために、
無用なルールに縛られる。
(個人情報保護など)
例外的なクレーマーへの対応にコストを
払っていては前進はない。
コミュニティーの中で低コストで
調整するメカニズムに次世代社会の解
があるのではないか?

次号に続く